泊周辺の歴史散歩

はじめに

「むかしの那覇市泊(とまり)って、どんな処だったのだろう」と思い、インターネットや各種の資料を読んでみたところ、身近な地域にも凄い歴史があるのだなと再認識いたしました。ご興味のある方は、散歩がてら散策を楽しんでいただけたらと思い、泊ふ頭施設のホームページを通じて紹介させていただく事にしました。 

何気なく通り過ぎる場所に数々のエピソードがあります。それらを楽しんでいただけたらと思います。それから、散歩に出られる方に・・・「沖縄は一年を通して直射日光等が厳しく、日傘・帽子・そして飲み物を必ず持参してこまめな給水をお忘れなくお願いします。」

沖縄の歴史を専門に学んだ訳でもありませんので、トピック程度です。どうかご容赦くださいますようお願いいたします。

01【おきなわ雑学】歴史散策にあたって

「御嶽」(ウタキ)ってなに?

御嶽とは神聖な場所で村を守って下さる神様や、“ニライカナイ”と云う海の彼方からやってくる神様をお祀りしています。どの村にもその村を守って下さる御嶽があります。
しかし、ニライカナイの御嶽はどこにでもあるわけでなく、那覇市内では「三重城」(ミーグスク)がそうです。
また、王族の御嶽としては首里城入口近く(守礼門近く)にある園比屋武御嶽石門(スヌヒャンウタキいしもん=世界遺産です)がそうです。王様が外出する時などに道中の無事をお祈りしたところです。

「親方」(ウェーカタ)と読みます

総地頭の尊称で、えらーいの士族の事です。
現在の市町村くらいの領地を治めていたそうで、俗にいう“親方”とは全然違います。

「御殿」(ウドゥン)と「殿内」(トゥンチ)と読みます。その違いは?

「御殿」は王族や按司(アジ)という最高級士族の邸宅のことを言います。「殿内」は琉球士族の中で、総地頭職にある親方の邸宅を指す尊称です。
王族である御殿の下に位置し、高い格式を誇る家柄です。今の市町村単位くらいの領地を持っていたそうです。

「カー」と「樋川」(ヒージャー)の違いは?

「カー」というのは「川」でなく井泉の事です。自然の湧泉を利用した共同井戸が主である。浅い井戸になっているのは、単に「カー」と云います。
「樋川」ヒージャーとは岩盤の奥の水脈からかけ桶で水を引き、その前に水留を作ってあるのを「ヒージャー」と云います。
沖縄は島国で、水に恵まれませんでしたので、どこの「カー」にも、石の香炉が置かれてあり、水道が普及した現代でもこの場所では祈りが捧げられています。

「沖縄のお墓」

他府県から来た人が驚くのがお墓。とにかく豪華です。
もともと岩かげを利用していたけれど、ご先祖を大切にする沖縄の人たちは、やがて自分たちが住むところより立派なお墓を作るようになりました。
屋根のついている「破風墓(ハフウバカ)」、亀の甲羅が乗っかってみたいな「亀甲墓(カーミヌクーバカ)があちこちで見られます。破風墓の代表格は、歴代の王様のお墓「玉陵(タマウドゥン)」です。